久留米大学文学部同窓会久留米大学文学部同窓会

校歌50周年記念事業報告

久留米大学校歌50周年記念講演会

詩人として著名な丸山豊氏は本学の卒業生であり、久留米大学校歌の作詞者でもある。その久留米大学校歌が50周年を迎えるにあたり昨年12月5日に旭町キャンパスの筑水会館にて「丸山豊 詩とこころ」と題された記念式が開催されました。式では、薬師寺学長の挨拶、そして丸山豊氏と親交のあった詩人・作家の森崎和江氏、陶芸家で詩人の山本源太氏の対談が行われ生前の丸山氏を偲んだ。

また丸山豊氏のご長男丸山泉氏より蔵書が寄付され受贈セレモニーも行われ、続いて「校歌ができた頃」という座談会が学長をはじめとする卒業生が、時折笑いも出るエピソードを交えながら当時を振り返った。

最後に久留米大学校歌を学生、来場者で大合唱し記念式は盛況のうちに終了しました。 (H)

丸山豊氏の作曲した校歌がある
久留米市内の小中高校、西国分・荘島・日吉・篠山・南薫・鳥飼・金丸・東国分・高良内・宮ノ陣・荒木・津福・附属(小学校)、櫛原・明星・宮ノ陣 (中学校)、久留米・筑水・久留米工業・久留米学園(高校)

※久留米大校歌は医学部同窓会HPで聴けます。http://www.chikusuikai.com/

丸山 豊(1915~1989)

久留米市が生んだ日本現代詩における代表的な詩人の一人。 第1回久留米市文化賞(昭和48年年)、第33回西日本文化賞(昭和49年)を受賞。その後、平成元年には日本現代詩人会主宰の先達詩人顕彰受賞。(室生、堀口大学、草野心平なども受賞。)海外でも昭和44年アラゴン主宰の「フランス文学」誌上で「十人の日本詩人」として紹介される。

大正4年、八女郡広川町に生れる。同年父親が医院を開業したため久留米市に転居。明善高校に進み、野田宇太郎と詩の同人誌を発行した。その後、早稲田大学へ進学するが、1年で退学。九州医学専門学校 (現・久留米大学医学部) へ入学し、医学の道へ進む。昭和9年、19歳の時には野田宇太郎らと「玻璃の乳房」を発表した。15年、応召し、翌年南方戦線に向かった。21年、ビルマの激戦地から生還した。同年8月久留米市諏訪野町に丸山医院を開業。

その後、安西均、野田宇太郎らと詩誌「母音」を創刊。谷川雁、小島直記、森崎和江、高木護、松永伍一、川崎洋、有田忠郎らが参加した。

また戦後25年経って随筆「月白の道」を出し、戦争の悲惨さを訴える。また、團伊玖磨作曲の合唱組曲「筑後川」の作詞のほか、学校校歌なども多数作詞する。平成元年8月旅行先のアンカレッジで死去。(享74歳)

その他、市の教育委員や九州朝日放送の取締役をするなど活躍する。

久留米市では、平成3年、久留米市百年公園に丸山豊詩碑が建立され、また、平成4年からは丸山豊記念現代詩賞を創設し、丸山氏を称えています。