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瀬戸吉廣さん太田記代子さん
 
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商学部卒業生の瀬戸吉廣さんにインタビューしました。
 
プロフィール

商学部昭和43年卒
刀鍛冶
大学卒業後、製薬会社を経て人間国宝隈谷正峯師に入門。その後現住所(前原市)で独立。
文化庁長官賞、毎日新聞社賞等多数受賞。
平成8年より新作刀展無鑑査に認定される。

学生時代の思い出など聞かせてください。  
全学の時代でデモには少し参加したかな。私はほんの齧った程度でした。それと1年生のときに寮生を中心に最初のあのく祭に関係したことです。まあ学業は熱心じゃなかったね…
どうして刀鍛冶になられたのですか?またきっかけは?

大学卒業後、東京で働いていたのですが、どうも営業の仕事がしっくりこず2年で会社を辞めてブラブラしていた時にたまたま本を読んでいたら、手づくり眼科医のメス職人の方が掲載されていて、これはいいかなって訪ねてみたのですが、「弟子は取らない」と言われて、その方の知り合いの天田さんという刀鍛冶を紹介され、天田さんのところへ行くと同じく「弟子は取らない」と言われて、更に隈谷さんを紹介されました。
その時刀づくりがやりたいというわけではなく、「自分はものづくりに向いているのかな」という程度でした。それで隈谷さんには何度も何度も粘りましたが断られ続けて、天田さんに「もう駄目です。あきらめます!」といって帰路に着いたわけです。しかし最寄駅のホームの構内アナウンスで呼び出されて、隈谷さんから「運転手なら置いてやる」ということで入門となりました。

入門の間はどんな生活でしたか?
運転手として入門しましたが、他の弟子と同じ生活でした。 また弟子なので夜以外は師匠の手伝いで雑務ですので、夜に工房で自分で研究しました。師匠はいろいろ教えてくれないので、師匠が作業するのをしっかり見ていました。それと師匠が出かける時は、一応運転手なので作業を止めて車を運転しました。それで実を言うと運転手のおかげでいいことがたくさんありました。師匠は当時人間国宝ではまだありませんでしたが、それなりの人だったので、著名な文化人、政治家、横綱などと会えましたし、高級料亭で末席に座っていいものを食べれました。
※ 刀鍛冶は5年の実務経験が必要。現在はプラス試験があるそうです。
入門後はどうされましたか?
6年ぐらい経って福岡に戻り独立しました。しかし4年ほど経って師匠が人間国宝になり多忙になられたからかな?呼び戻され4年を経て、現在のところで独立となり今に至ります。
工房が住宅地にあるのがかなり意外なのですが…

よく意外だといわれます。
刀鍛冶のイメージは田舎で横に小川が流れ…というような感じに思われるようです。  
実は私はどうも田舎的な付き合いが苦手で、寄り合いとか1ヶ月に一回とかあるでしょう。ちょっとね…それに子供の学校や妻が車の免許を持っていないということもありました。

太刀の制作にはどれくらいの期間かかるのですか?

それだけしか製作しないというわけではないし、他の職人さん(白鞘の場合、研師、鞘師、?師[ハバキ師])もすぐに取り掛かるというわけではないからね。それを考えると半年くらいかな。
※漆や金具類が加わると更に長くかかる。

刀の魅力はなんですか?
つくることがおもしろい。てつ自体がおもしろい。映り (波紋)がおもしろい。  
鎌倉時代の作品のような映り(波紋)を完成させたいね。
※和鉄は成分が均一なものではなく調合して均一に練り上げる。
※刃になる硬鉄と、それを保護するための軟鉄を合わせて作った刀にしか波紋は出来ません。つまり、違う金属の境目に出来ます。

刀鍛冶になられての感想は?
夜明けから日が暮れるまで仕事しっぱなしですが、サラリーマンより余ほど精神的に楽だと思ったね。布団に入って5分ももたず寝てしまうよ。そして朝5時にはピシャっと目が覚めるね。

 

【工房】

瀬戸吉廣作
日本政府買い上げ
サウジアラビア皇太子献上刀
アブッドラー皇太子私邸にて

【守り刀】
 
   


参考リンク先(編集者が選んだものです)
匠の世界(FBS)2000年4月放送 
http://www.fbs.co.jp/kakoban/takumi/index.html
瀬戸さんがTV番組で紹介されました。

刀博物館(日本職人名工会)
http://www.meikoukai.com/contents/hakubutukan/hamono/index_6.html
刀のことが詳しくなります。

たたらの話(日立金属)
http://www.hitachi-metals.co.jp/tatara/index.htm
刀は和鉄じゃないとダメなんです。和鉄は製鉄所ではつくれないのです。

たたら吹き(HITACHI)
http://www.film.hitachi.jp/movie/movie739.html

たたらづくりの動画が見られます。プロジェクトXでも取り上げられました。

医学部卒業の太田記代子さんにインタビューしました。
 
プロフィール

医学部昭和36年卒
医師・佐賀県議会議員
久留米大学卒業後、九州大学第一内科、小児科を経て博多保健所勤務。その後佐賀県内の保健所長を歴任。
退職後福祉施設(ロザリオの園)嘱託医を経て現在に至る
議員2期目

どうして医学部(医師)をめざしたのですか?  
幼くして母親を自宅分娩で亡くしましたから命の尊さを思い知らされました。また父が内科医として患者さんに慕われていた事が影響したと思います。
学生時代はどのようなものでしたか?

親戚のところに置いてもらい助かりました。また当時は女子学生は6人でしたが、みんなとても仲良く楽しかったです。高良山にお弁当を持って登ったりしていました。皆、本はよく読んでいました。夏目漱石が私は特に好きでした。

保健所を定年退職後、県議会議員に立候補されたのはなぜですか?
命と健康が、もっと大切にされる政治にしたかったのです。保健・医療・福祉が中心の政治になるよう努めてみようと思いました。
現在、プルサーマル計画に対して反対されていますが、なぜですか?
命と健康のためです。佐賀県に世界一危険とされるプルサーマル導入が計画されていて医師として非常に心配だからです。詳しくは今年の医学部同窓会会報に載せて頂いていますので、それを転載させていただけませんか?
「昭和20年8月6日と9日の両日は世界が決して忘れてはならない特別な日と申せましょう。人類の未来を明るく紡ぐ為には原爆被曝の悲劇を忘れずに教訓とすべきと考えます。  
久留米大学で医師にして頂き、30年余を保健所勤務医として原爆被曝者検診を担当しました。
 
核兵器の非人道性と放射線被害の残忍性を経験した唯一の被爆国の医師として核兵器廃絶へ向けて努力するべきと強く思わされました。 しかし今、核保有国の核兵器を合わせると人類を何度も抹殺できる数に達していると聞けば鳥肌立ちますし、日本の医師だけでなく世界の医師は力を合わせて核廃絶を主張すべきと思えてなりません。  
人の命を守る事を職としているのですから救い難い原爆症を考えれば、それを避けるしか方法がないのですから。   

爆弾の脅威だけでなく平和利用という名の放射線被害もチェルノブイリ事故で思い知らされました。人類の将来の為に安全で持続可能な太陽光や風力発電等が実用化される日が心より待たれます。地球を温暖化や放射能汚染から守る先進国に日本はなるべきと思います。 
少なくとも今より危険な方向に進まない様にすべきと考えます。しかし、現在、佐賀では玄海原子力発電所にプルサーマルが導入されようとしていて非常に心配で憂えております。  

この久留米大学医学部同窓会々報は私にとって「救いの神」のような存在ですので再び投稿させて頂きます。何故なら吉野ヶ里遺跡が工業団地で造成が議決されている所を保存を訴えて拙文を載せて頂き、結果、運が開け、お蔭さまで吉野ヶ里は保存に変更になりました。10年以上に及ぶ保存運動でした。本当に感謝の限りです。
 
プルサーマルと聞いても物理学者ではない私は始めは漠としてチンプンカンプンでした。 賛成と反対両方の学者のお話を聞いてやっと分かりました。賛成派の学者が楽観的すぎると思いました。反対派の学者の説はよく理解できプルサーマルは非常な危険を孕んでいると身がすくむ程でした。特に京都大学原子炉実験所助手・小出裕章氏の講演は分かり易く恐ろしさに気が滅入りそうでした。  
さらにショックを受けたのが一級プラント配管技能士・平井憲夫氏の「原発がどんなものか知ってほしい」を読んだ時でした。  
そこにはウランを燃やすように設計された原発でプルトニウムとウランを初めから混ぜて燃やすのは「石油ストーブでガソリンを燃やすようなもの」で危険過ぎると書いてありました。   
実際に原発の技師として長年働き、被曝のせいか癌で1997年に亡くなってる平井氏の文章は遺言のように貴重と感じました。  
しかもヨーロッパと違い日本は不安定で危ないプルトニウムを6.1%もMOX燃料に混ぜるというのですから人類が経験した事のない危険なものです。(ヨーロッパは3%台の由です)  
もし玄海原発にプルサーマルが導入され、チェルノブイリ級の事故でもあると九州中、暫く住めなくなるであろうと聞けば何としても止めなければと思います。  
3シーベルトの事故であれば佐賀市も佐世保市もLD50の範囲とされるそうです。 もっと小さな事故でも発癌性と催奇性を考えると避けるべきと獅子吼したいです。
 
犯罪を扱う裁判の世界では「疑わしきは罰せず」ですが環境問題では「疑わしきは使用せず」の原則を守らねば犠牲が出る事は水俣病やサリドマイド事例等が判然と示しています。  
被爆国日本がプルサーマルを進めると将来、世界中の流れが緩み地球温暖化以上に恐ろしい放射能汚染が進むのではないでしょうか。  
昨18年3月、佐賀県にアメリカから物理学者エドウィン・ライマン教授が「危険すぎるプルサーマル導入しないでほしい、地球規模の汚染が心配だから」と申入れに来られました。  
どうぞ先生方、お力を貸して下さいますようお願い申し上げます。 
最後に平井憲夫さんの文を転載させて頂きます。
『私は原発反対運動家ではありません。20年間、原子力発電所の現場で働いていた者です。原発については賛成だとか、危険だとか、安全だとかいろんな論争がありますが、私は「原発とはこういうものですよ」とほとんどの人が知らない原発のお話をします。そして、最後まで読んでいただくと、原発が皆さんが思っていらっしゃるようなものではなく、毎日、被曝者を生み、大変な差別をつくっているものでもあることがよく分かると思います。
チェルノブイリで原発の大事故が起きて、原発は怖いなーと思った人も多かったと思います。でも、「原発が止まったら、電気が無くなって困る」と、特に都会の人は原発から遠いですから、少々怖くても仕方ないと、そう考えている人は多いんじゃないでしょうか。  
でも、それは国や電力会社が「原発は核の平和利用です」「日本の原発は絶対に事故を起こしません。安全だから安心しなさい」「日本には資源がないから、原発は絶対に必要なんですよ」と、大金をかけて宣言をしている結果なんです。もんじゅの事故のように、本当のことはずーっと隠しています。  
原発は確かに電気を作っています。しかし、私が20年働いて、この目で見たり、この体で体験した事は、原発は働く人を絶対に被曝させなければ動かないものだということです。それに、原発を造るときから、地域の人達は賛成だ、反対だと割れて、心をズタズタにされる。出来たら出来たで、被曝させられ、何の罪もないのに差別されて苦しんでいるんです。  
みなさんは、原発が事故を起こしたら怖いのは知っている。だったら、事故さえ起こさなければいいのか。平和利用なのかと。そうじゃないでしょう。私のような話、働く人が被曝して死んでいったり、地域の人が苦しんでいる限り、原発は平和利用なんかではないんです。それに、安全なことと安心だということは違うんです。原発がある限り安心できないのですから。  

それから、今は電気を作っているように見えても、何万年も管理しなければならない核のゴミに、膨大な電気や石油がいるのです。それは、今作っている以上のエネルギーになることは間違いないんですよ。それに、その核のゴミや閉鎖した原発を管理するのは、私たちの子孫なのです。  
そんな原発が、どうして平和利用だなんて言えますか。だから、私は何度も言いますが、原発は絶対に核の平和利用ではありません。  
だから、私はお願いしたい。朝、必ず自分のお子さんの顔やお孫さんの顔をしっかりと見て欲しいと。果たしてこのまま日本だけが原子力発電所をどんどん造って大丈夫なのかどうか。事故だけでなく、地震で壊れる心配もあって、このままでは本当に取り返しのつかないことが起きてしまうと。これをどうしても知って欲しいのです。  
ですから、私はこれ以上原発を増やしてはいけない、原発の増設は絶対に反対だという信念でやっています。そして稼動している原発も、着実に止めなければならないと思っています。  
原発がある限り、世界に本当の平和はこないのですから。』
詳細は、http://members.at.infoseek.co.jp/genpatsu_shinsai/hirai/ 

●平井憲夫さん
1997年1月逝去。
一級プラント配管技能士、原発事故調査国民会議顧問、原発被曝労働者救済センター代表、北陸電力能登(現・滋賀)原発差し止め裁判原告特別補佐人、東北電力女川原発差し止め裁判原告特別補佐人、福島第2原発3号機運転差し止め訴訟原告証人。
 「原発被曝労働者救済センター」は後継者がなく、閉鎖されました。」

以上 『医学部同窓会会報158号』平成20年1月25日発行より抜粋

(インタビュー続き)
人類の歴史は、病との闘いの歴史・自然破壊の歴史・戦争の歴史でした。今、反省し、もうやめないと…。次の世代にできるだけいい状態で(地球)を残さなきゃ。その中で佐賀県が一番罪深いこと(プルサーマル)をやろうとしています。
私は小学校4年生の時に中国天津で終戦を迎えて、8月15日に校庭で玉音放送を聞きました。もしかしたら私も残留孤児になっていたかもしれないのです…。生き残った一人としてあの戦争を語り継がねば…。しかし今、あの悲惨な戦争の教訓が活かされていないのが悲しい。教訓を活かせば危険なプルサーマルは導入できない筈です。

太田さんにお会いする前に原発に関する本を読んだり、ネットで大雑把ですが調べたりしてみました。文科省原子力安全課、緊急被ばく医療REMnetのホームページの記載では、原発事故が起こり放射性ヨウ素を吸い込む前に安定ヨウ素剤を服用すると甲状腺への取り込みをほぼ阻止して、甲状腺癌の発生が予防できる。吸い込んだ後だと阻止率が40%程度に落ちる、と掲載されていました。どうして原発のある自治体などに備蓄されているのに、各家庭に事前に配っていないですか?

いいことに気づかれました。私が佐賀県の保健所長の時にヨウ素剤を事前に配ることを主張しましたが、全く相手にされず黙殺されました。しかもヨウ素剤にしても防げるのは甲状腺癌だけですよ。他の臓器の癌の予防にはなりません。
どうして配らないのか?原発不信やパニックになる恐れがあるためだと言われました。 安全・安全としか言っていないですものね。情報を出さない戦時中と同じです。勝つ勝つといって国民を悲劇に巻き込みました。国民は子供まで騙されていました。歴史の教訓ではありませんか。

文学部(同窓会)なので、なにか卒業生におすすめの本とかありますか?

たくさんあるのですが…
『この人を見よ』〜田澤義鋪の生涯〜 下村湖人著
 →鹿島市出身で「こんな人いたの?」というくらいのすごい人物です。
『月白の道』丸山豊著
 →丸山豊先輩は従軍された経験をもとに書かれています。是非ご一読下さい。戦争の悲惨さがよくわかります。




参考リンク先(編集者が選んだものです)
文科省原子力安全課、緊急被ばく医療REMnet
http://www.remnet.jp/lecture/b03_03/2-3.html

プルサーマル計画について(推進派)佐賀県制作
http://www.pref.saga.lg.jp/at-contents/kurashi_anzen/genshiryoku/genshiryoku/plu.html
※ 佐賀県主催公開討論会の動画は賛成派・反対派の意見が見れます

Think Pu(佐賀)考えよう、プルサーマル・プルトニウム(反対派)
http://tpu.sakura.ne.jp/xoops/

財団法人田澤義鋪記念会
http://www.nippon-seinenkan.or.jp/tazawa/index.html
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